20200504/20240112

できること面倒臭がらずやっていたら日記が疎かになった。空いた期間の下書きはあるものの久しぶりに外にでた感動ばかり綴っていて鬱陶しい。自分だけでも読み返したい文が書けないとこういうものはダメだと思う。…と書くと緊張感が生まれる。

 

今日は面倒な書類の類を片づけた。目上の人に連絡をするというのは本当に気が重い。いつからか尊敬している目上の人への接し方に過剰なまでに葛藤している。ああ、あんな口調であんなことを、なんて自身の発話一言一句思い出し恥ずかしさと申し訳なさで独り言が激化。尊敬している人に私という存在が見えること自体が恥ずかしい。危険な神格化。お前はいったい一日何回しねと言ったら気が済むんだと我ながら思う。人間として対等になれず立場という表層だけに囚われる…。まあ諸々送れたのでひとまずよかったけれど、今後も暫くこの悩みは付き纏うだろう。

どうしたら平穏に暮らしていけるのか…年々生きづらさが増していっているように思う。飲食など他者との迅速且つ的確なコミュニケーションが必須の仕事はもうできなくなっていたし。見えないはずの、見えなくていい他者が見えすぎている状態。どう生きていくのがよいのか、このご時世だからだけではなく内的要因も大いに影響し、よく考えざるを得ない。

 

それはさておき「日記を書くこと」は過去・現在・未来がすべて内包されている、本当に面白い行為だ。現在、過去を振り返りながら書き、それは着々と未来になっている、完成された日記である過去は、現在においていつでもアクセス可能、そしてそれは未来における話で...至極当然のことだけれど時間旅行のようでちょっと興奮する。ブログ形式の日記を始めると他者が個人の過去にアクセスできるのも面白い。他者の未来に過去の自分が存在する。過去の自分に未来の他者が存在する…。また、ブログは他者の未来がある前提で自身の過去を綴っており、書いているいま現在に他者がすでに存在している、他者の存在によって自身の過去の捉え方も少なからず変化しており、他者が自身の現在未来に影響を及ぼす、非常に興味深い行為である。今後も断続的にではあるだろうが記していきたい。