20200503/20201003/20240112

久しぶりに外に出た。街路樹は家で思うよりも遥かに青く、美しかった。

青々とした陽の中を自転車で駆け抜ける。午前8時、意気揚々と2か月ぶりの職場へ向かうのだった。

昨日はというと諸々の申請書を書き疲れ果てそのまま寝ていた、わけではなく物音に過敏になりなかなか寝付けず4時頃まで起きていた。私は未だに暗闇が怖いし幽霊を信じている。なのでそこにいると思えば幽霊はいるわけでそれに見合った呼吸をする。今日は相当疲れているので物音に耳を澄ますのは多分忘れるだろう。

 久しぶりに地を蹴った足はフルフルと震え下り階段でさえ降りるのに苦労した。最近足が細くなったかもとほくそ笑んでいたが、僅かにあった筋肉をなくした代償だった。

バイト先はとある施設で暫くの間休館していた。それは未だ続いているが、作業要員として勤務可能となった。今日は畑仕事と床の修復などを行った。畑仕事はいい。いろいろな親しんできた虫から見たこともない虫までそこにいてとてもわくわくする。見えなかった知らなかった生きているものが沢山、よく見える。ムカデなどの危険な虫は施設であるから見つけ次第そこが土の上であっても殺さなければならないが、どうにも殺せずにいたら隣の人が足で勢いよく何の躊躇いも感じさせずに踏み殺し、ブチッという非常に嫌な音がしたのをよく覚えている。一気に空しくなった。

後日、私の靴にヤスデが乗っていた。何度も踏みつぶした。

 

 

20201017/20240112

大抵真っ当でなくなる夜。もう疲れちゃったなとか。

いつからこんなに苦しくなったのか。

気力体力共にない。

気を使い気を使わせ落ち込みまた気を使う負の無限ループを断ち切りたい。

自分の感情にフォーカスし過ぎ。世界に私しか居なくて何も見えないから私を見るしかないんだよ。事実とかない。感情、どう感じたかだけ。

よくないな。前はなんでもできる気しかしなかったけど今はどうだろ?

元気になりたいな。

 

久しぶりに友人と楽しい時間を過ごしました。

自分で自分を苦しくしてる。バカ者。

でもしんどい時の方がいい作品つくれるらしいから踏ん張りたい。

なんか人生終わるのか?くらいの謎の焦燥感。

いつだって孤独。安心のための大勢はいらないはず。

ここが踏ん張り時。

20201009

昼間に日記を書くことはあまり、というか全くしたことないけれど、今読んでいる日記形式のとある本に文章を書いているときの私の精神は安定している、と綴られていて確かになと。この日記も自分自身への精神安定剤のようなもので、自分だけが見れるようなノートに書かないのは自分を少しでも客観的に見たいから。それだけ。外は大雨だし、本当に行きたくない労働に行く前に気を紛らわせようと書いている。

寝る前、性格診断ばかりしていた。以前はヤフー本格占いとか、何の信憑性も感じない占いをひたすら、多い時は1日7時間以上やっていた。どの占いも未来へのポジティブなことばかり書かれていて嬉しかった。けれど最近は本当にくだらなく思えてしまい腹も立つようになったから、もう少し信じられるものをと何十もある質問に答えどのような性質があるのかをよく診てもらっている。当たる、というかこんなに質問に答えているんだから当たっていないとおかしい。自分でもよくわかっている事柄ばかりだけど詳しく言語化してもらえるのはありがたい。人はAIにでさえ何かに断定してもらえると安心するのだろう。わかってもらえている気になる。人をいくつかに分類するものだし、確実に自分みたいな人間は見えないけど大勢いる。

私は美大の院生で、何かを表現して生きていくと決めている。けれどそれだけじゃ少なくともはじめのうちは生きていけないだろうから、どう食いつないでいこうかばかり考える。今のバイトのような、無難な労働は本当にストレスだからどう日々を気持ちよく過ごし、制作に比重を置けるか。昔は労働はしんどい方が制作に集中できるとか思ったりもしたけどそうでもない。今の私には無理だ。

でもそんなストレスを抱えている人は結構いるんですね、『ふざけながらバイトやめる学港』(汽水空港、2020年)を読んで少し元気になった。これ経由で読みたい本が増えたからメルカリで買った。はやく届かないかな。

とりあえず早くバイトやめられるようメルカリやろう。

20201003

5か月ぶりに身のこと、周りのことを綴ってみる。

大学は6月頭から始まり(実際の登校がなされ)、課題等こなし、新しいバイトをしたりまあ忙しく過ごしている。

今日は少々落ち込む出来事があった。私やその人個人がというより状況がいけなかった。状況に飲み込まれて声を荒げているだけだとよく分かっているのに。私の責任でもあるよなと過剰に反応した。他人の感情に本当に過敏になった。どうしてなんだろう。他人が負の感情に苛まれてるとなんとか回復させようとあの手この手を駆使するわけだけど、本当に疲れる。無理なんだよね。不自然だよ。

これは労働先での出来事だったが、本当にしんどいのはここ半年ほど家でも同じような状況だということだ。いつの間にかすれ違っている、ように見える両親の顔色ばかり窺っている、悲しいほどに。どうにか幸せになってくれないかとプレゼントを贈ったり、家事をよくよくやったり。一瞬だけ繋ぎとめるを繰り返す。もう疲れてしまった。こんなこと誰にも頼まれていないのに。

私の身の回りの人は全員皆幸せであるべきだし幸せでないと許さないとでも思っているのか。自分が働きかければなんとかすべて良い方向になるはずだという傲慢がこの状況を引き起こしているとも思う。出来事すべて自分事にする自過剰でお節介な奴ゆえとも言えるか。

すべて私の行き過ぎた思い込みが引き起こしている困難なのだ。

でも自分は状況に過敏にならざるを得ないようだから、もう私のことなど誰も知らないところに行ってしまいたいよ。賃貸サイトで知らない家ばかり見ている。

20200504/20240112

できること面倒臭がらずやっていたら日記が疎かになった。空いた期間の下書きはあるものの久しぶりに外にでた感動ばかり綴っていて鬱陶しい。自分だけでも読み返したい文が書けないとこういうものはダメだと思う。…と書くと緊張感が生まれる。

 

今日は面倒な書類の類を片づけた。目上の人に連絡をするというのは本当に気が重い。いつからか尊敬している目上の人への接し方に過剰なまでに葛藤している。ああ、あんな口調であんなことを、なんて自身の発話一言一句思い出し恥ずかしさと申し訳なさで独り言が激化。尊敬している人に私という存在が見えること自体が恥ずかしい。危険な神格化。お前はいったい一日何回しねと言ったら気が済むんだと我ながら思う。人間として対等になれず立場という表層だけに囚われる…。まあ諸々送れたのでひとまずよかったけれど、今後も暫くこの悩みは付き纏うだろう。

どうしたら平穏に暮らしていけるのか…年々生きづらさが増していっているように思う。飲食など他者との迅速且つ的確なコミュニケーションが必須の仕事はもうできなくなっていたし。見えないはずの、見えなくていい他者が見えすぎている状態。どう生きていくのがよいのか、このご時世だからだけではなく内的要因も大いに影響し、よく考えざるを得ない。

 

それはさておき「日記を書くこと」は過去・現在・未来がすべて内包されている、本当に面白い行為だ。現在、過去を振り返りながら書き、それは着々と未来になっている、完成された日記である過去は、現在においていつでもアクセス可能、そしてそれは未来における話で...至極当然のことだけれど時間旅行のようでちょっと興奮する。ブログ形式の日記を始めると他者が個人の過去にアクセスできるのも面白い。他者の未来に過去の自分が存在する。過去の自分に未来の他者が存在する…。また、ブログは他者の未来がある前提で自身の過去を綴っており、書いているいま現在に他者がすでに存在している、他者の存在によって自身の過去の捉え方も少なからず変化しており、他者が自身の現在未来に影響を及ぼす、非常に興味深い行為である。今後も断続的にではあるだろうが記していきたい。

20200501

5月。新緑の季節、若葉色が眩い。

本当に言葉の通り自粛しているため例年の若葉を思い出し書いている。

 

昨晩、深夜0時過ぎ母が昔のアルバムを見ていた。私はここ3か月ほど諸々あり慢性的な憂鬱でちょっと参ってしまっていた。疾患の気があるなと思いつつ診断され断定されてしまうことの方が怖くそういった機関は訪ねていない。まあ実際大したことないだろうし。それならそれでもっと生きやすい術を得られればいいのだが…。自分が生まれた頃や幼少期の写真を「ほら、これ見てこれ!」なんて笑いながら見せられたほやほやの私はとても幸せそうでああそういえばこんな事があってすごく嬉しかったんだよなと沢山の鮮やかな記憶を一気に取り戻した。なんか泣けてしまった。母がなぜだか知らんが憂鬱そうな自分に対し何か特別な言葉を掛けることはせずとも言葉でないもので語り掛けてくれたのだと。…まあそれは私の行き過ぎた都合の良い思い込みで、実際はSNSで若い頃の写真を載せるバトンが回ってきたそうだw

人に何かを求める、特に精神的に求められるのは相手にとって非常に厄介な事だと思っている。私自身今まで誰かに依存されることが多かった。その度に文字通り絶縁になることを繰り返した。依存される側にも問題があると、大学からは爽やかなさっぱりした人付き合いを心掛けてきた。それが功を奏したのか大学四年間で絶縁になった友人はいない。半面、人に頼ることを必要以上に躊躇うようになった。怖くなってしまった。ある友人に「辛いときいつも一人だよね」と言われた。相手にも自分にも不干渉を貫くと正直とても寂しい。本当に一人なのではないかと思ってしまう。

写真を見るとかつて無条件に守られていた幸せそうな自分がいた。いまは目に見える形で人に気にされていなくとも、こうやって育てられてきたという事実にとても救われた。母にとっては全く意図した行為でなかったが、私には今本当に必要な出来事だった。

 

日が昇り今日は先日購入したオンライン先行上映「ホドロフスキーのサイコマジック」を観た。内容的に一人になれる時に観るべきだとタイミングを見計らっていた。昨晩の出来事もそうだが理屈ではない救い方、人間の無意識に語り掛け救い出す方法は、強い。社会から精神的に解放されるにはちょっとした視野の拡張、視点の切り替えが重要なのだろう。それがなかなか難しいのだが。

 

夕方テレビをつけると医療従事者への取材が放送されていた。夜は営業自粛に追いやられている人々の取材。たまたま見ただけだけれどこれもとても勇気づけられた。私もできること面倒臭がらずやっていかねば。まずは行動を起こしてから、悩むのはそれからでいい。

20200430

4月も今日で終わりだが体感としては3月のまま停止している。まあ実際必死こいてなんとか払えた入学金は入学できないまま飲み込まれているようなものだし、時は進んでも今はまだ3月だ。

美大の学部を終え、春から大学院に進学予定だ。時間(思考、制作)の確保と学びを得るため。実技であるので制作時間が何よりも重要だ。けれど場所を当分の間得られないので濃密であるはずの時間も得られていない。家はとても制作が十分にできる環境ではない。これに加え緊急事態宣言の延長だ。いつになったら入学できるのだろう。本当に困った。

学校は公立なので十分な補償の期待はできない。金銭の緊迫が心を荒ませる。しかし見なかったことにしてやり過ごすのは違う。言うべきことを言う、怒るべきところで怒る、しっかり意思表示しないと変わるものも変わらない。

また、自分よりも困っている人がいるのだから怒りを抑えるべきというのも全くの見当違いだ。何の、誰の、正しさで生きている?正しさは外だけにあるのではないし多くの人を見れば得られるわけでもない。なんとなくの同調、思考停止の自己防衛が今一番怖い。

コロナによって等言いたくはないが、この状況により自分は何を大切に生きていきたいのかより深く考えるようになった。様々な重要な決断を一人で下さなければならなくなった。一朝一夕に答えはでないが、強制的にモラトリアムから脱却した、とは言えるだろう。