20200430

4月も今日で終わりだが体感としては3月のまま停止している。まあ実際必死こいてなんとか払えた入学金は入学できないまま飲み込まれているようなものだし、時は進んでも今はまだ3月だ。

美大の学部を終え、春から大学院に進学予定だ。時間(思考、制作)の確保と学びを得るため。実技であるので制作時間が何よりも重要だ。けれど場所を当分の間得られないので濃密であるはずの時間も得られていない。家はとても制作が十分にできる環境ではない。これに加え緊急事態宣言の延長だ。いつになったら入学できるのだろう。本当に困った。

学校は公立なので十分な補償の期待はできない。金銭の緊迫が心を荒ませる。しかし見なかったことにしてやり過ごすのは違う。言うべきことを言う、怒るべきところで怒る、しっかり意思表示しないと変わるものも変わらない。

また、自分よりも困っている人がいるのだから怒りを抑えるべきというのも全くの見当違いだ。何の、誰の、正しさで生きている?正しさは外だけにあるのではないし多くの人を見れば得られるわけでもない。なんとなくの同調、思考停止の自己防衛が今一番怖い。

コロナによって等言いたくはないが、この状況により自分は何を大切に生きていきたいのかより深く考えるようになった。様々な重要な決断を一人で下さなければならなくなった。一朝一夕に答えはでないが、強制的にモラトリアムから脱却した、とは言えるだろう。